第53回バイオフィット研究会定例会基調講演
京都府立大学名誉教授 大手桂二
■はじめに
昨年11月、全国治水砂防協会主催の「緑のゼミナール」で福留さんと出会い、今回お招きいただき光栄に思っています。私は生態学を志し、恩師である四手井綱英先生を尋ねましたが、「おまえは土方向きやから砂防に行け」と言われたのがきっかけで砂防へ進みました。しかし、砂防に入って何をするか。直接の恩師である遠藤隆一先生は建設省に長くおられ、昭和23年研究室に戻られて、砂防ダム三次元解析法を打ち立て功績を上げられた方です。当時の砂防のテーマは「砂防ダムをいかに安く作るか」でした。
砂防の現場には土砂が嫌というほどあります。これを使わない限り砂防工事はできない。今から20年前は誰もそんな発想はしませんでしたが、現場の土をそのまま固めたらどういう強度が出るか?私は土方になりましたが、植物が好きで、休みには山へ行って植物の勉強をしていたのが役立ちました。
昭和50年代以降、自然保護の問題が起きてくると、私の研究も認められ始め、吉野川の河川敷の植生調査や、細川内ダムのアセスメントもやらせてもらいました。砂防の人間でそんなことをする人はいないわけです。砂防というのはごく単純なものです。土砂を動かすのを止めたらいい。近自然工法が10年ほど前に起こってきたのもきっかけとなり、砂防で植物を使うようになりました。皆さんの自然を見る目が肥えてくるに従い、山の中に真っ白いダムがあるのは自然破壊と言われて当然です。建設省も5年ほど前から、クローズドダムはやめてなるべくオープンダムにしよう、流路工という言葉は使わないようにしよう、水制と床止めを組み合わせて自然的な環境を作っていこうということになってきました。
■植生の見方
いずれも山岳の写真。左は高山帯の草本群落。右は四国の剣山の亜高山帯の林。どちらの景色を好むか?単一の草本ばかりの群落と、樹木が入っていて多様なもの。ヨーロッパの学生と日本の学生にどちらが好きかアンケートを取ると、日本の方は単一の方が圧倒的に多いヨーロッパとは正反対です。

こちらはスギの人工林とシラカバ。シラカバの方が人気がある。シラカバの林は先駆植生と言って、植物群絡の中で一番最初に成立する群落がこれです。スギは人工林ですが、中に自然のものが入って複雑です。亜高山帯の植物が入ってくるとのっとられて、シラカバは枯れていきます。

自然のブナ林と、右はブナ帯の人工林。皆さんはすっとした方が好きですか?

同じアカマツ林です。私どもが森林を見る場合、まず群落の高さを基準に考えます。左は高木層が一層だけで地表に草本が生えている単純な姿、右はアカマツの下に亜高木層、低木層がたくさんあります。自然の森林は、高木層、亜高木層、低木層、草本類のと4つの植生に階層分けができ、それが真の森林ですが、どちらを好きかと聞くと圧倒的に単純な方が好まれる。アカマツも先駆植生の一員で、光がなければ育ちません。そういう群落の下で自然のものが大きくなってきてアカマツを追い越せば、アカマツは枯れる運命にあります。

日本の森林帯は、針葉樹林帯、落葉樹林帯、照葉樹林帯です。四国・九州はほとんどが照葉樹林帯で、剣山と石槌に少しだけ針葉樹林帯があります。日本を名古屋のあたりで縦に切ると、一番上2400くらいのところに森林限界があって、そこから上は高山帯。1650から1900が亜高山帯。ここにブナ帯。それ以下はシイ、カシ林、途中にモミ林があります。ある程度の環境条件で植生の群落は決まってきます。
九州大学の田川先生が、桜島で自然遷移の仕方を調べられました。桜島は噴火した年代、どこに溶岩が出たかまで全部わかります。その記録を頼りにその上に成立している群落を調べます。噴火して溶岩が流れ出て裸地になると、そこには地衣類、蘚苔類しか生えません。それに20年くらいかかる。次に1年生草本の群落ができ、タマシダ、イタドリといった植生が約50年続いて、多年生草本の群落になります。その次に低木林、ヤシャブシ、ノリウツギ、クロマツ、これが100年。それからクロマツが大きくなりクロマツ林ができる。そして陽樹の低木林ができる。クロマツ林の下に常緑の広葉樹が入ってきますが、アラカシが大きくなりアラカシ林になるのに150年〜200年かかります。植生の遷移系列と言い、極盛相という表現を使ってますが、陰樹の高木林、タブノキの林になるのに500年から700年かかると先生はおっしゃいます。自然の状態では桜島の溶岩は非常に固い。砂防で山腹工事をやると、陽樹の高木林までいくのに200年かかりますが、桜島では50年くらいで到達できるのではないかと思います。裸地に林をもってきて造成するには50年から60年、100年近くかかるというのが定説。それをもう少し効率よくすれば、もっと早く回転するのではないかと期待されます。
1987年に砂防法が制定され、初めて工事をやったところは六甲山でした。今やっとアラカシ林からアカマツ林になり、徐々に常緑の広葉樹が浸入してきてます。ふつう、100年くらいかけて裸地から自然の林に戻すと、一人前の物質の循環ができる。大事なことです。生態系の中で自分の出した枝葉、動物の遺骸、全部分解して樹木に吸い取られるという物質がうまく循環すれば林になります。
・タブ林(宮津湾、冠島)
特殊な例を紹介します。京都府の宮津湾の冠島は、天然記念物に指定されているオオミズナギドリという海鳥の生息・繁殖地で、一般の人は上陸できません。戦時中は要塞で兵隊が常駐していました。鬱蒼と黒いのはタブの林で、海岸は別の植生が生えています。中へ入るとこういう状態。植生は外見だけ見てはいけません。3mくらい土壌が流れてしまっていることを知っていただきたい。土壌が流れないような林でないと健全な林ではありません。

・シイ・カシ林 (金閣寺裏山)
金閣寺の裏山。シイ・カシ林の例です。5月の連休明けくらいになると京都のあたりは常緑広葉樹林、シイが花ざかりです。こういうシイ・カシ林が暖温帯の極盛相をつかさどる林です。下にヤブツバキであるとかいろいろ入ってます。アカマツの林がありますが人手が入って、全然違った環境になってます。一歩中に入ると暖温帯の典型的な林が見られます。

・アラカシ林
暖温帯から少し上がって、大台ケ原に行く途中のアラカシ林で、モミジが紅葉しています。アカマツもある。この辺は人手が入り入り交じって複雑ですが、暖温帯の端的な状況です。アラカシはこの次のシイになるまでの途中段階です。途中層であるということを認識下さい。

・アカマツ林
もっと人手が加わったアカマツ林。ほとんど先駆植生に等しい。ここには人工林がびっしりある。その隣は自然なアカマツの林にやっとなった状態です。ここで樹高が10m前後。スギなどはやっと4、5mになったくらいですが、これだけ密植すると手入れをしなかったら中は光が入らず真っ黒です。光が入らないと何も生えず、スギばかりの林になる。先ほど申し上げた群落としての構造が一つもなってない。それで持ち主は喜んでるかもしれないが、防災上非常に危険な林です。

・モミ・ツガ林
さらに高度を上げて、先ほど話したモミ林にあたるところ。大台ケ原の標高500、600mのところですが、そこにモミ・ツガの林が出て、大台ケ原山系の中腹部と四国の馬路村、魚梁瀬地域だけにしかないというトガサワラという林が残っています。

・ブナ林
もう一つ上にあがると冷温帯、ブナです(写真左)。これも同じブナ帯ですが(写真右)、場所によって違います。天然の杉にブナが混じっています。4月、5月にかけては新緑の一番眺めのいい季節です。天然の林というのは決して単一ではありません。変化があってしかるべしなのです。
・亜高山帯の針葉樹林
亜高山帯の針葉樹林帯です。ここにコメツガ、トウヒなどがあって、薄い緑はダケカンバが混じっています。
上高地、前穂高から出てくる沢の写真です(写真左)。上の方から崩壊して頻繁に土石流が出ます。これは古い針葉樹林帯の斜面でその下に薄い緑がありますが、土石流の上に成立した新しい先駆植生群落です。見方によってはっきりと差がでてきます。土石流はバーッと反乱するたびに裸地ができて、しばらくするとミヤマハンノキやダケカンバ、シラカンバの仲間が侵入し、林になります。
上高地の長塀山です(写真右)。ここに崩壊ができてますが。土石流が出てきた後、一服する間にダケカンバなどが生えて一時、裸を隠すわけですが、再び土石流が出てくると新しいダケカンバなどが生えてきます。このコントラストがよくわかっておもしろい。

■砂防山腹工事
裸になったら従来はどうしていたか。砂防山腹工事においては、明治時代から、いろいろな工法が開発されてきました。山腹工の手順を説明すると、崩壊ができた頭の部分は不安定な土砂であるため、一定の安定した勾配に法切りをして斜面を仕上げます。そのためには一番下に大きな擁壁の形をした土止工、埋設工をして厚めの土砂を固定しなければなりません。ここの地下水をぬく排水溝、表面の水を抜く排水溝、これでワンセット基礎工が終わりです。
明治6年、砂防法ができる前に明治政府がオランダから招聘した技師、デレーケは、長年日本に滞在し砂防に尽力しました。京都府の職員が提案したのが山の芝を切り取って積み、後に土砂を入れて埋める切苗工です。隣の山から芝を運ぶと隣の山が裸になり、これでは不経済だからこれを改良して、現在我々が推奨するのが積苗工ですが、今や芝も取れず、藁で代用しています。段切り工で階段を切り、切った後ろに芝を立て、土砂を固定させて藁を詰め苗木を植える。これが標準的な植栽方法です。
もう一つは、溝を掘るだけで、法型のところに萱を置いたり、石を置いたりする萱筋工。石筋工という筋工と積苗工のコンビネーションで山腹を固定する方法もあります。明治時代から行われている工法で、滋賀県大津の南の太神山での工法がずっと続いていますが、そこより北では霜柱が斜面を破壊して積苗工を埋没してしまうので、エニシダ等を巻いて施工します。
・天神川砂防での施工例
@法切りやる前の筋を切っています。
A斜面を切りならして法切り工をやっています。
B一番下の土止工です。昔は石積みでやりました。
C斜面の一番上部に排水溝をこしらえました。
D芝積苗工の床掘勘定。高さが80cmくらいあります。ここに藁束をおいてます。
Eこういう風に藁をとり、その上に積苗工をやります。
Fこれは仕立て中の芝積苗工です。
Gこれが芝積苗工です。この上が藁積苗。藁束を並べて斜面を起こしています。
H長さが30cmの藁束を敷き並べて斜面を固定しています。
I芝積苗と藁積苗のコンビネーションでやっています。
J今度は藁積苗の型、ここに種子、肥料と土と種子を混ぜて巻いていきます。
K藁積苗と芝積苗の斜面。植生盤に種を植え付けたものを置き、その上に藁を張るわけです。
Lこのように藁伏せをやります。
M完成して最後に植栽。クロマツ。ヤシャブシ、ヤシャブシ、クロマツ、ヤシャブシ、ヤシャブシ、クロマツという配合で植えています。
Nこれが3年後です。黄色くなっているところは前の年のエニシダの種が発芽して花が咲いています。
Oこのように岩が露出しているところは手はつけられないから放置されます。
@ A B

C D E

F G H

I J K

L M

N O
・挿し木実験
オーソドックスな山腹工事は今申し上げた通りですが、なんとかもっと安くできる方法はないかと私どもの演習林の崩壊斜面で、嵐山から淀川まで続く桂川の河川敷に生えているヤナギを使ってやってみました。ヤナギの挿し木を土止めの杭に杭にならないかと。太いのは20cmくらいのヤナギで、それを60cmくらいの一定の長さに切り、先をとがらして斜面にそのまま打ち込んだわけです。ヤナギが出てくるのと同時に台風がきたので、大学の校内でひっくり返ったポプラの枝も挿し木に使いました。
差し付け後45日。太いもの(5cm以上)、中くらいのもの(2〜5cm)、小さいもの(2cm以下)と三段階にわけてやりました。いずれも発根してます。ヤナギの樹皮に、日が当たらないと根っこになり、日が当たると枝になると言うおもしろい細胞があり、それをどのように利用するかが挿し木の原点になりました。
70日後、差し付けたのが5月。同じように、直径の大、中、小と立派に生えています。
200日後、12月のちょうど年越し前くらいですね。

今度はポプラです。生育はよくありません。発根もあまりしていない。45日後のものです。
70日後。でてきていますが根があまり出てない。
これが最後200日目。大きいのは多少出てきています。

・京大演習林崩壊地での実証
土が使えることを実証しようと、79年9月、演習林の中の崩壊地に行きました。崩壊は下の沢まででしたが、途中の尾根道から5mくらい下がった場所から泥コンクリートをやってみました。
一番上の尾根筋に林道に演習林にあった一番小さいミキサーを使用し、下から水を運び、現地の砂岩をどろどろにしてナイロンの土嚢袋につめて運びました。
その前に土嚢袋を積む前に足場として倒木をもってきました。
足場丸太の上に杭がありますが、3段袋を積みました。一番上部に木杭を打って斜面に固定します。
できあがりです。下から土の量に対して30%、20%、10%という配合で作り、三段積んでそのまま放置してます。

これが1990年です(写真左)。秋でしたので葉は落ちてしまい、自然に浸入した樹木が生えています。約10年です。この土
嚢は真っ青なアルカリ性を好むコケが生えておりました。この時には袋が健在でして破損はしていません。
5年後の95年(写真右)。袋が破けてのぞいています。15年経てば土嚢袋は勝手に壊れて、自然の土に帰ってもらってよろしい。山腹工事、緑化というのは、植えなくてもこのようにできるということをご理解下さい。

・奈良県御杖村での土止工
奈良県、木津川の最上流部分、御杖村に昭和34年の伊勢湾台風でてきた崩壊地です。傾斜角が45度くらい。間伐材で枠だけ組むよう注文し、急なところは組むのがむずかしいので土止工だけにしてもらい、あとで臍をかみました。この場合、崩壊地の性質として、斜面長が60mから70mで細長い。こういう崩壊地はトップの部分に欠陥があり、そこから必ず土砂が供給されます。実際、ここに排水路をこしらえたのですが、今でも土砂が満杯状態です。去年の暮れに植生調査をしたところ、ススキの群落で終始しています。ススキの群落から次の低木のウツギにはいきにくい。これは、土砂がしょっちゅう動いていることを意味します。小規模な縦型の崩壊地には土止工をやっただけで、まわりは人工林ですが、現在はコナラの林になっています。

・富山県黒部渓谷出平ダムでの施工例
富山県の黒部川で、関西電力が最後の開発としてダムを作る計画に参画しました。工事後どの程度緑を戻してくれるかが一つの課題で、私の言うことをよく聞くよう念を押してやらせてもらいました。
A、B、C3つの箇所で多少やり方を変えました。A1は出平駅の周辺部で1日何本も列車が行き来し毎年大勢の観光客が通るので、工事の影響が残るようなことをしてもらっては困ります。どうやって緑化するか。地表面を全部50cmの深さで耕起する。Aの部分には下から土を運びます。その上に客土をして樹木A(ヤシャブシ、ヤマハンノキ)、樹木B(イタヤカエデ、ヤマモミジ、カツラ、ミズナラ)苗木を植えました。その地域の植生調査によると自然の斜面にはブナ帯が生えているが、ブナは新しいところには向かんと思い、先駆植生から次の段階、二次林に行く段階、いわゆるの陽樹林ができる樹種をこの地域から選び、苗木を調整しました。樹木AとBの割合を2対8。客土したところにはヤシャブシと主に使ったのはヤマハンノキを2割。残りの8割は広葉樹を細かく植えました。
Bの斜面は、駅から先ほどの斜面にかけて骨材置き場など平坦なところができます。50cm耕起してもらって30cmの溝を1.4m間隔で掘り、富山平野の近くの粘土分の多い土を客土しました。その上にヤマハンノキを8割、広葉樹を2割という割合で植えてもらいました。
Cは斜面にかかっているんですが、1m間隔の溝を50cm耕起した上に掘ってもらいました。そこへ30cm客土してもらい、今度はヤシャブシ、ヤマハンノキの仲間を4割。コナラ、ミズナラを6割という配分で植えてました。その際に固形肥料をマルティングをしてもらい、残りを種子吹き付けでやってもらいましたが、結局は吹き付けた種子は全然役に立ちませんでした。
プロットはA、B、C2つずつ。植栽時期は、61年12月〜62年6月です。これが施工直後の状況。 これは別の斜面です。

これはA1のプロットです。植えた直後の状態です。その次の年の春。施工直後3年は春、秋、2回ずつやりました。 3年目になるとこれくらいです。

1987年
1988年

1989年
今から11年前、1990年です。9月にはカツラの上にヤマハンノキが覆っています。10mに届くかどうか。カエデがありますが、この辺にブナが植えてあるのですが大きくなりません。

1990年
先ほどの93年のものです。ヤマハンノキの林がすでにこのようにできています。
次は今から6年前、1995年の状況です。秋に行くと落葉していました。
施工が終了した時、私は関西電力に「5年ごとにモニタリングをする」と注文をつけ平成7年までやりました。

1993年 1995年
樹種別に見ると、はっきり差があります。ヤマハンノキは10m近くなっているが、後は別の広葉樹いわゆる樹種Bはこの辺で止まり、ブナは全然大きくなっていない。直径も、ヤマハンノキ、カツラがでてきて、ブナは太くはなっているが、ヤマモミジはあまり大きくなっていません。
1995年と2000年の比較評価ですが、A1が出現種数が18、草本層に侵入種なかったのが、去年行くと36種類。草本層の侵入種としてはケヤキなどが侵入してきています。誰も植えていないので、鳥が運んでくれたか、ケヤキなどは風で飛んできたのでしょう。A2はモミジイチゴ、やはりケヤキが生えています。B1はヤマハンノキの多いところですが、5年前に27種類で去年は減っていました。B2は場所を間違えてデータなし。C1はノリウツギが生えていたのが、ガマズミ、ヤマアジサイのような木が生えています。次の侵入種の中にはケヤキがある。わりと高木種であるということです。 成熟度を89年、95年、2000年と見ると数値が充実してきています。ヤマハンノキを後からの広葉樹が追い越すのはどれくらいになるのかが興味の的ですが、今は順調にきています。
■おわりに
私がこれまで砂防をやりながら、緑化や景観の問題を見てきた中での断片的は話ばかりでしたが、要するに植物を熟知した上で使って欲しい。もう一つは予算面の話です。同じ年度で基礎工も植栽工も全部やろうとするから無理がある。植物にとっては非常に過酷な条件で、その後はどうなったかわからないという工事が蔓延しています。皆様の貴重な税金を使うからには、効率よく目的を達成できるように考えて欲しい。年度に基礎工だけやってもらうと、逆に自然にヤマハンノキが生えてきたりして、その方が早く自然に戻るわけですから経費の節減にもなるし、効率的であると申し上げたい。植物を扱う時には植物の身になって欲しい。うまく自然に生えてくれなければ、それからでも遅くないという考え方をとれないかということです。植えても植えなくても、モニタリングをどれだけやって見届けるか。これが今まで植生の管理法の抜けていた部分だと思います。
2001年4月19日バイオフィット研究会第53回定例会にて
大手桂二先生プロフィール
京都府立大学農学部名誉教授・農学博士。潟宴塔hクリエイト研究所取締役会長。1959年京都大学農学部林学科卒。京都大学農学部講師、京都府立大学農学部講師を経て、1979年10月同大学農学部教授。1996年3月同大学を定年退職し、現職に至る。専門は、砂防技術で、とくに山腹砂防工事における緑の回復、さらに土壌についての認識を主張。多数の論文のほか、著書に「洛北探訪−京郊の自然と文化」がある。
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