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最初の目的地、バスティドンという小村で、私たちを歓迎してくれたのは、思いがけずも10人くらいの小学生だった。公民館のような建物の前で、嬉々として元気そうなこの子らが来訪者を待っている。私たちを、「村に少し案内する」と言う。ガヤガヤやっていると、丁度そこへ、この地方のプレジデントがゆっくり静かに現れた。私たちが面会を求めていた、当の人物である。企画されたものなら、心憎いばかりの演出だが、実はその背景にもっとすごい哲学があることを後から知る。
15年前、「環境問題と土木の関わり方」を、スイスから学べと私に勧めた弟が、今度は「南フランスのリュベロン地方を見よ」と強引に私を誘い、彼の連れ添いソフィーのコーディネータ兼通訳で、この度10日間の旅行となった。
ガイドブックによると、「リュベロンはアルプスから地中海に至る地方で、樹木に埋もれた静寂とごつごつした風景、山上の小さな村々や空石積みの小屋が特徴。16世紀、ヴァルド派の共同体に抗し、数々の血塗られた舞台に。面積16万ヘクタール、人口15万で自治体の数67、経済活動は農業を主に食品加工業と観光」とある。また、この一帯はリュベロン地方自然公園に指定、1997年にユネスコの生物圏保護区(MAB計画)として承認されている。今回の研修課題は「人間と生物圏」だと思った。
話を元に戻す。バスティドンの路上で会ったプレジデントは、簡単な挨拶が終ると、子供たちにあとを頼み、「それでは明日の昼に」と、早々と姿を消した。この日は、地方全体で地区ごとにイベントがあり、それもテーマが“水”とのこと。そこで子供たちは、私たちを村の古い水汲み場や共同洗濯場に案内し、昔の暮らしや今に続く習慣などを、誇らしげに説明してくれたのである。公民館には、子供たちの“水”をテーマにした絵画や工作物、隣の図書館には、古い昔の風景写真が展示され、年寄りの回顧談を録音したテープが回っていた。子供たちも仕事をし終えると、あっと言う間に私たちの前から消えた。
この日の夕方、別の村の祭りに参加した。今回の研修計画一切を準備してくれた、公園機構のジルさんがここで待つという。水車のある川辺の広場では、地域ごと区分されたテントの中で、リュベロンの各地域をPRする物品やパンフレットが展示され、そこは物品の売買でなく、情報を交換する人たちでにぎわっていた。ジルさんは公園機構のテントにいて、「自分たちは、こんなことをやっている。楽しんでいってくれ」と、私たちの到着を歓迎してくれた。そして、「明日の午後、事務所で」と別れた。テントの内には、リュベロン自然公園とユネスコ生物圏保護のポスターや資料が並んでいた。
さて、翌日、私たちは公園機構のプレジデントと、ある小さな町のレストランで昼食懇談会をもつ。「リュベロン地方」を本格的に学ぶ、実質5日間の研修が始まった。
1960年代の終り、この地方は新しい第二次居住者とコンビナート計画で、メトロポリス的な住宅地域になるのではという不安が、多くの人たちの間に起こったと言う。第二次居住者とは、マルセイユなどの大都市に住み、週末や休日をリュベロンで過ごす人たちで、彼らが絵のように美しい村の真中に家を買えば、普段は空家状態で、村の中心部は死ぬ。そこでこうした事態を防ぎ、地方の自然と村の生活を守ろうと言う運動が始まった。地域の首長を務める、優れた指導者がいたという。そして1977年、「リュベロン地方自然公園」という地域を、32地区、7万人で創設。参加した全地区が、この公園の目的と目標を掲げ署名した「公園憲章」を定めた。現時点では、67地区、15万人の地方となっている。
ここで、彼らが選んだ「地方自然公園」というのは、自然を守るために指定する公園として、自然を中心とし人が住まない「国立自然公園」と対比して、「人が住んで自然を保護する地域」という概念を持つ。因みに、この憲章で定めた公園の目的は、「地方の自然のバランスを保ち、村人の生活条件を改善して、灌漑・機械化・土地の再編で農業活動を推進すること。なかでも最優先されるのは、公園発展の基礎となり、領域内の維持を保証する農業的ポテンシャルの保護と開発である」とうたわれている。
その少し固い憲章の内容は別にし、この対談でとくに印象深かったのは、この運動を起こした当初の人たちの考えである。以下、プレジデントの言葉を、そのまま紹介する。
「リュベロンに地方公園の概念を導入し、外からも人を迎えたい。これは、周りからの開発も防がねばならないが、この地方、これを防衛する高い山や海がない。しかし、代わりに、伝統的な文化と生活がある。人々がその価値を分かれば、リュベロンは守れる」
「環境を保全しつつ、経済を発展させる。その第一のルール、自然と静かな生活空間を守る。第二、村の人口が増えても、集落規模つまり可視的な集落景観を変えない。第三、大きな農地は、百年後にも残す。これはリュベロンのアイデンティティである」
「1970年代、南から多くの移住者があり、77年に10万人、いま15万人。ある村は、ここで生まれた若者を入れ、地域に住む新しい人たちは、人口の3分の1。リュベロン地方公園(という共同体)は、この新旧世代の人たちを交流させ、社会的なつながりをつくるのが仕事。新しい人たちが、如何にして自分たちの土地を知り、馴染んでいくか」
「人が自己確認をする。それは、まず自分を知ることだ。それには国や村のことを知る必要も。それで人に認められる。コート・ダ・リュベロンのワインの銘柄は、いまではフランス中に知られている。祭りや地区でのイベントを通し、地元の人たちはそれらを知る。
そして『あなたはどこのひと』、と問われたとき、『私はリュベロンのひと』、と答えられる。だから、昨日のようなイベントは、外の人のためでなく、地域の人のため。初めはそのつもりでなかったが、段々そう思うようになってきた」
プレジデントの淡々と語る言葉が、私たちの昨日から体験していた風景と重なり、私は人類の歴史を教えられ、そしていま、人間としてのあり方を示唆される思いがしてきた。
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